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2017年5月

2017年5月31日 (水)

本来の役目

うつ病患者というじゃまもののカテゴリーから脱却するため、まだ治っていないと自覚をしていたが、本来の役割に収まろうと夫の所に戻った。

着せ替え人形になろう。

着せ替え人形は、不便な人形になっていた。
人形なのに情緒不安定、仕事は以前の七割程度しかできない。

半年、勤めさせて頂いた結果、夫の判断はクビだった。

「仕事でイライラしていても、今の君じゃ八つ当たりもできない。その上、鬱病なんて抱えきれないから、この家から出て行ってくれないかな。俺は実家に帰りたくないから。帰って来てほしくなったら、また帰って来てくれていいから。」

人形は人形のままで終われなかった。
3度、自殺未遂をした、どれも失敗した。
役立たずは、死ぬことすらまともにできないのかと思い知った。

居場所を失った人形は、またじゃまものへ立場を変えた。
そしてわたしは妻という仕事を失い、抜け殻になった。

愛されてみたかった、人間として。
許されたかった、生まれてきたことを。

じゃまもの

うつ病になり、耐えきれなかった言葉。

あんたは苦しいか知らないけど、そばにいるこっちも頭がおかしくなりそうなのよ!
母は、半ば叫びながらわたしに訴えた。

君は無意識に人の心を傷つけ、被害者面をするけれど、君こそ加害者なんだよ。
役立たず。
君を必要とする世界はこの世にはないよ。
何を頑張りたいのかわからないけど、何が待っていると思っているの?


大学院時代に指導教授に言われた言葉と重なった。
まさかそれを母親に言わせてしまうとは思わなかった。

わたしに待っていたものは、じゃまものというカテゴリーだった。

死ぬことが憧れだった

死ぬことに憧れていた。
朝、起きたら・・・もう全てが終わっていたらいいのに。

結婚してからの一番の願い事。
もう死ねばいいのに、わたしなんて。
この世からいなくなればいいのに。
きっと主人は泣いてくれるだろう、そして忘れてくれるだろう。

わたしは、死ぬことに憧れていた。

泥棒と鉢合わせした時、怖れることもなく叫ばなかったのは、泥棒がナイフを持っていたから。
苦しまずに殺してくれるならば、泥棒ですら天使と思えたかもしれない。

でも泥棒は何もせず、わたしの鞄だけを持って、逃げてしまった。
あの日、叫べば暴行した後に殺していたと供述をしていたそうだ。
ただ、あの子は叫ばずに扉を閉めたから、何もしないで帰った。
刺す必要がなかったそうだ。

主人は、翌日だけ銀行の手続きで会社を休んでくれた。
それからは放置され、飲み会に繰り出していた。

母は叔父の会社に税務署が来るため、わたしのことどころではなかった。
あんたが帰ってくるなら構わないけど、ママはそばにはいてあげられないよ?
それでもよければ帰ってくれば?

帰って来るな、というように聞こえた。
誰からも関心を持たれないのならば、なぜあの日無事だったのだろう。
ならば、いっそひとりで泣いていた方が幸せだ。
わたしには女中という立派な仕事がある。

わたしは結婚してから、夫の着せ替え人形になった。
お気に入りのお洋服とアクセサリーを身に付けた人形だった。
だけど名目は妻だったから、家事という仕事が与えられたスタッフと一緒だった。

夫という立場の人を立て、恥ずかしくない妻を演じる。
厚生年金と衣食住がわたしのお給料だ。
あとは、夫の排泄の為に身体を差し出せば家の中が荒れることはなかった。

骨が浮き出た身体を求められなくなるのは必然で、後半は排泄のみの道具になった。
泣いても痛いと訴えても、事が終わるまでわたしの苦痛は続く。
ならいっそ、痛みも涙もすべて感じなければいいだけだ。

関心は持たれないけれど、必要とされているのならば、まだ幸せなのかもしれないと思い日々を過ごした。

小さな命のぬくもりを抱きしめて、チロルの小さな鼓動がわたしの鼓動だった。

うつ病とその後

うつ病と戦い続けてもうすぐ一年が経とうとしています。
わたしは、捨てられました。

ゴミのように・・・。

うつ病として発症したのは2016年の出来事でしたが、わたしの闘病生活は2013年から始まっていました。
主人の発達障害がわかったのは、結婚から3か月後の出来事でした。

ご主人はコミュニーション能力において発達障害を持っています。
義母と義姉については5歳児から成長がみられません。


隣に主人がいる。
彼は目すらも動かさない。ただそこにじっと座っているだけ。
夫婦カウンセリング初日の診断だった。

わたしは主人に隠れてセカンドオピニオンを兼ねて別の病院に行った。
発達障害という言葉は伏せて、荒れ狂う家庭の現状を説明した。

今すぐ離婚できますか?そうすれば、あなたは治ります。
それともお薬を服用しながら、結婚生活を続けますか?
治る保証のないご主人の症状に望みをかけて。

「健康な時もそうでない時も、夫を愛しそばにいることを誓いますか?」
結婚の誓いが頭の中をぐるぐるとしていた。

考え させて ください。

途切れ途切れになる答え。やっと言葉に出せた一言だった。
それから考えながら、3年が経ち
生活をしていく内に、わたしは自分を見失い鬱病にかかった。

吐き続ける毎日、泣き続ける毎日、片付け続ける毎日。
ひとつひとつと向き合い、闘い、問題を解決していく中で感じたこと。

わたしは彼の隣に居て、心から笑う日が来るのだろうか?

そんな疑問がふと沸いて出てきてしまった、あの日。
わたしの頭のスイッチが、カチリと音を立てて切れた。

そうしてわたしは、主人のお荷物になったあの日から捨てられるためにうつ病の治療を始めたのも同然だったのだ。

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